【事業承継小説】「あと3年、頑張ってみます」と言って帰っていった

これは、実際の相談をもとにプライバシーに配慮してフィクションとして再構成した物語です。

「売るつもりで来たわけじゃないんです」

最初にそう言った。都市部でパン屋を営む、60代の男性だった。

後継者はいない。息子は別の仕事に就いている。妻には「そろそろ考えたら」と言われているが、何をどう考えればいいのかわからない。廃業するしかないのかとぼんやり思いながら、誰にも話せないまま何年も過ぎていた。

「ただ、漠然とした不安を誰かに聞いてほしかっただけだったかもしれません」

得体の知れないものだと思っていた

M&Aという言葉は知っていた。でも自分とは無縁のものだと思っていた。大企業が別の大企業を買収する、テレビのニュースで見るような話。町のパン屋がM&Aで引き継いでもらえるなんて、考えたこともなかった。

話を聞くうちに、それが全く違うとわかった。

地域に根付いたパン屋を引き継ぎたいという需要が、実際にある。複数店舗を経営している地場の企業が、既存の店舗ごと取得したいと考えているケースも珍しくない。長年の常連客、スタッフとの関係、立地——そういうものに価値を見出す買い手が存在する。

「そんな話、初めて聞きました」と、社長は静かに言った。

望む相手に渡したいなら、今できることがある

どんな買い手候補がいるかがわかると、次の話になった。

「自分が納得できる相手に渡したいと思うなら、一番の準備は業績を上げておくことです」

買い手は複数の候補から選ぶことになる。選べる立場になるためには、事業の魅力を高めておく必要がある。値上げ、目玉商品の企画、固定客を増やす仕組み——やれることが具体的に見えてきた。

「廃業しかないと思っていたのに、やることが出てきた」

漠然とした不安が、具体的な課題に変わった瞬間だった。

「あと3年、頑張ってみます」

面談が終わる頃、その社長はこう言った。

「もやもやがすっきりしました。あと3年、頑張ってみます」

売ると決めたわけじゃない。でも3年後という地図ができた。その3年間で業績を上げて、納得できる相手を選べる状態にする。やるべきことが見えれば、人は前に進める。

その社長が帰った後、私はしばらくその言葉を反芻していた。相談に来た目的は、売ることじゃなかったのだと思う。先が見えない霧の中にいて、一人で抱えきれなくなっていた。それだけだったのかもしれない。

話すことで霧が晴れる。それだけでも、相談に来た意味はある。


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