【事業承継小説】わかっていた。それでも、待ってしまった。

これは実際の相談をもとに、プライバシーに配慮してフィクションとして再構成した物語です。


孫から電話が来たのは、三月の終わりだった。

「じいちゃん、就職決まったわ。東京のIT企業や」

「そうか。よかったな」

受話器を置いてから、しばらく動けなかった。

おめでとう、と言えたかどうかも覚えていない。


73歳になった今も、現場に出ることがある。足場を確認して、職人たちに声をかけて、帰りに事務所に寄る。30年以上、そうしてきた。

建設会社といっても、従業員は15人ほどの小さな会社だ。地元の工務店や設計事務所からの仕事が中心で、派手さはないが、ずっと黒字を保ってきた。

息子が「継がない」と言ったのは、10年以上前のことだ。

「俺には向いてへん」とだけ言って、そのまま別の仕事に就いた。怒りはなかった。むしろ、どこかで覚悟していた。息子の目が、現場を見るときに一度も輝いたことがなかったから。

その翌年、孫が生まれた。


自分でも、おかしいとは思っていた。

生まれたばかりの孫を抱いたとき、「この子が継いでくれたら」と思った。息子が継がないと決まったその翌年に、もう次の期待をしていた。

無理に決まっている。

孫が会社を継ぐとしたら、早くても30歳前後だ。そのころ自分は90歳を超えている。現場に出られるわけがない。会社がもつかどうかもわからない。なにより、孫がこの仕事を選ぶかどうかなんて、誰にもわからない。

わかっていた。全部わかっていた。

それでも、孫が小学校に上がるたびに、中学校に進むたびに、「まだ先がある」と思っていた。高校生になったとき、建設の専門学校に進んでくれないかと、一度だけ思ったことがある。口には出さなかったが。


孫は聡い子だった。勉強もできて、人付き合いもうまい。大学では情報系に進んだ。就職活動の話を聞くたびに、IT企業の名前が出てきた。

そのたびに、どこかで思っていた。もしかしたら、と。

もしかしたら、ひとまわりして戻ってきてくれるかもしれない。経験を積んでから、建設の世界に入ってくれるかもしれない。そういう若者もいる、という話をどこかで読んだ気がした。

それがどれだけ現実離れした期待かは、自分が一番よくわかっていた。


東京のIT企業。

電話を切ったあと、事務所の窓から外を見た。道路の向こうに、去年完成した建物が見える。あの現場は大変だったな、と思った。職人の一人が怪我をして、工期がずれて、それでもなんとか仕上げた。

この会社を、誰かに渡せるだろうか。

初めて、そう思った。「渡す」という言葉で考えたのは、初めてだった。それまでは「廃業」か「続ける」かしか頭になかった。

職人たちは、まだ働ける。取引先との関係も続いている。会社自体は、まだ生きている。自分がいなくなっても、誰かが引き継いでくれれば、続けられるかもしれない。

そういう方法があると、人から聞いたことがあった。M&A、という言葉だったと思う。会社を売る、というより、引き継いでもらう、という感覚に近いと聞いた。

一度、話だけでも聞いてみようか。

そう思いながら、その日は事務所を出た。


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